スーパーじゃない息子が強豪街クラブに入ってから その2

サッカー素人同然の小2の息子が強豪街クラブに入会!!

そしてデビュー戦は散々だった息子。
チームに迷惑をかけてはいけないと、まじめに息子にサッカーを教える決意をした2018年の春先でした。

前の記事:「スーパーじゃない息子が強豪街クラブに入ってから その1」

 

開く、しぼる、こぼれ球を狙う!

ポジションもマークも何も知らない息子に僕が最初に教えたのは、“開く”“しぼる”“こぼれ球” の3つでした。

公園で、僕が1人3役くらいこなして、ゆっくり試合中の人とボールの動きを再現しました。

逆サイドにあるボールを見方が真ん中の選手にパスをする、同時に息子はタッチラインの方へ走り出す(開く)。

この時、息子以外のボール回しは僕が一人でやりました。
自分でパスして、次のポジションに走ってトラップするという感じで。(疲れる。。)

息子に意識してほしかったのは、どういうシーンをトリガにどのような動き出しをすると、プレーがしやすくなるかということでした。

同様に、逆サイドでボールを失ったときに、しぼるという動きも僕の1人3役ケーススタディでトリガと目的を根気よく説明しました。

そして、もうひとつ、僕が息子に強調したのは、こぼれ球に詰めることでした。

3年生(人数不足により1つ上の学年に帯同していた)のサッカーでは、強豪チームでもキーパーの技術はそこまで高くない場合がほとんどで(フィールドの選手が交代でやることが多い)、シュートがはじかれる確率が非常に高いので、そこを狙うことで、何とか息子に初ゴールを決めさせてやりたいという思いがあったからです。

なので、見方がシュートを打ちそうな場面では必ずキーパーめがけて突進するようにと口酸っぱく伝えました。

もちろん、いきなりすべてがうまくいくわけもなく3週間ほどは例によって気まずい週末が続きましたが、1カ月ほど経過したとき、ようやくこぼれ球を押し込み初ゴールを決めることができました。

このころになると、僕も周りの保護者の方々ともよく話をするようになりました。

息子は小さくてちょこまか走って頑張っている子として認知されているようだとわかり、肩身の狭さが多少緩和されました。

相変わらず、ほかの子たちとの差は圧倒的でしたが、ドリブルやターンなど、チームで教えてもらっていることが少しずつ身についているようでした。

ほかの子の保護者の方々もいい人ばかりで、皆さん圧倒的なレベル差の息子に対しても暖かい声援を送ってくださいました。

僕の保護者としての歴史で一番つらく過酷な時期が過ぎ去ろうとしていました。

 

初めての招待杯

 

 

チームに入会して最初のゴールデンウィークも試合漬けでした。
まだまだ戦力外の息子は、すべての試合に召集されるわけではなかったので、少しだけオフもあったような気がしますが、チームとしてはほぼすべての休日に試合が入っていました。

ここまで、参加した活動はすべて練習試合だったのですが、連休の後半に招待杯なるものが予定されていました。

前にいたチームでは招待杯に参加した経験がなかったので、この時は何かしらの大会ということはわかったものの、いまいちシステムが分かっていませんでした。

この日の大会は6チームが参加するリーグ戦形式でした。

後になってみれば、招待杯は毎月のようにどこかしらのチームが開催しておりさほど珍しいものでもなく、時には参戦はするものの選手の育成が目的で順位にこだわらないということもあるとわかりましたが、この時はそんなこともつゆ知らず、初めての大会にわくわくドキドキしていました。

ちなみに、わくわくの部分はこのチームがどんな結果を残すかということに対してです。
ドキドキの部分は息子がヘマをやらかさないかという部分が大半でした。

息子の学年は人数が足りずひとつ上の学年に帯同していたので(結局この状況は1年間続ききました)、この日も3年生の大会でした。

僕と妻は、3年生チームの活躍を楽しみにしつつ、「たくさん点が入ったら息子も試合に出してもらえるだろう」くらいの気持ちでいました。

ところが、この日は全部で10人程度のメンバーをほぼ均等に出場させる方針だったらしく、1試合目の後半、大したリードもないうちに息子がピッチに投入されました。

まだ、ポジションがよくわからない息子はとりあえず、トップに置かれ前線でボールを追いかけまわすというミッションを授かったようです。

小柄なうえに3月生まれの息子は1つ上の学年の試合に出ると、まるで幼稚園児のように見えます。

ボディコンタクトは怖がってしまい身体を使ったディフェンスが全くできませんが、頑張って走り回っているうちにクロスボールが膝にあたり、奇跡的にゴールを決めることができました。

 

 

その後も3年生の安定した試合運びのおかげでその日の大会は優勝することができました。

どのような大会においても優勝するという経験がほとんどなかった僕自身、所属するチームが優勝できたという喜びがとても大きく、初めて息子がこのチームに入って良かったと思えたのでした。

結局、ちょいちょいおいしいパスやこぼれ球をもらえた息子はなんと合計で4得点を挙げることができました。

もちろん、ディフェンスではマークを外しまくり、球際も弱く冷静に見れば悪いプレーの割合の方が多かったと思います。

それでも、幼稚園児みたいな子が意外なスピードを見せ、ゴールをたくさん決めたという印象が強かったようで、コーチが息子をその日のチームMVPに選んでくれました。

チームMVPというシステムすら知らなかった僕と妻は、閉会式で息子がメダルをもらって喜んでいる姿を見て驚きつつも感無量でした。

このチームの中で素人同然の息子を1個上の学年に帯同させるということは、見守る保護者として辛い面も多いけど、こんなに素晴らしい成功体験ができるなら、頑張る価値があると思えた1日でした。

 

もちろんすべてがうまくいくわけではない

 

 

物事がそんなに簡単にうまくいくわけはなく、この奇跡のMVPの翌日の練習試合では、また元通り一つもいいとこなしの息子に逆戻りでがっかりでした。

しかし、この日を境に僕自身も(勝手にそしてようやく)チームの一員になれたような気がしてました。
ほかの保護者の方々とも徐々に仲良くなり、どんどん居心地がよくなってきました。

僕も妻も今ではすっかりチームのファンになっています。

息子はというとその後も、たまに調子のよい日があったり、絶望的に何もできない日があったりが続きます。

3年生になり、自分の学年で活動できるようになってから多少はましになったものの、この2年半の間、僕の気持ちもまるで仮想通貨の相場のように乱高下し続けてきました。(そして間違いなくこの先も続きます。。。)

結局のところ、相手チームのレベルが息子の出来栄えに大きく影響するようです。

やはり、大きくて強いチーム相手ではビビってしまって何もできなくなってしまうというところは4年生になった今も大きな課題のままです。

ほかのチームからスーパーな子たちが移籍してきて、徐々に息子もボーダーラインに追いやられてきましたが、それでも本人がこのチームで頑張る気持ちがある限りは、保護者として応援していくつもりです。

スーパーな子たちの活躍が羨ましく、何度も同じミスを繰り返す息子にやきもきしたり、ついついそのことで愚痴っぽいことを言ってしまったりして後から反省することもしばしばありますが、息子と一緒に僕自身も人として成長していこうと思います。

残り2年半、ドロップアウトせずに卒団まで残れるか。
どこまでチームの戦力になれるか。
ビビりは治るのか。

卒団の時にこの記事を見返して、僕は何を思うのか。
どちらかといえば不安の方が大きいですが、未来を楽しみに、毎日を頑張りたいと思います。

 

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今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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